PC Watchの「山田祥平のRe:config.sys 脱ビットレート」だが、意味不明の議論になっている。まず、論点を集約するのにこのアーティクルが話題としていたものを示す。
- AAC 96kbps CBR、MP3 128kbps VBRの音質差よりも、CD DAやLossless CodecとMP3 128Kbps VBRの方が有意な差がある
- 不可逆圧縮への問題提起
- 離散化・量子化への問題提起
おおよそ、こんなところであるが議論そのものが発散しておりアーティクルとしての意味が薄れている。まず、着地点として不可逆圧縮への疑念の表明だけを目的としているため客観的な議論となっていない。これでは、主観そのものが異なる第3者への文章としては価値が低いといわざるを得ない。
最初の論点つまり、AACとMP3とLosslessな信号との音質差である。一般にこの種の不可逆圧縮では符号化に用いるソフトウェアによって有意な差が出るとされる。従って、音質評価をする場合には符号化のソフトウェアが同定出来ない場合、議論そのものの骨格が怪しくなる。恐らく、話にiPodが登場していることから符号化に用いられているのはiTunesであろう。しかし、iTunesのMP3エンコーダはAACエンコーダと比べて質的に見劣りするとの評価が少なくない。
また、不可逆圧縮への問題提起で以下のような意見を述べている。
化学調味料のうまみに慣れきった舌が、煮干しやカツオで丹精込めてとった出汁に、なんとなく物足りなさを感じるようなことが、今後、起こりはしないのだろうか。
例えと言うのは、問題の性質が同じ場合には有効であるが、問題の性質が異なる場合には理解を妨げる。また、私が知る限り物足りなさをうんぬんというのはかなり議論として怪しさを覚える。また、不可逆圧縮と化学調味料の問題が人間の感性において同様に扱えるかは必ずしも自明ではないと考える。
もっともおかしいのは不可逆の議論をしているところでこういった意見を持ち出すところである。
録音、撮影といった行為の時点で、ぼくらは、非可逆への暗黙的了解をしてしまっているのかもしれない。その時点でオリジナルは劣化コピーと化し、二度と再現することはできなくなる。あとにあるのは、再生だけだ。再生は、その環境によって、著しく再現域が異なる。つまり、同じものであるはずなのに、誰も同じものを見ていないということが起こってしまう。
まず、不可逆圧縮と収録という事を混合して扱っていることに問題がある。不可逆圧縮などが導入される以前から誰も同じものを見てこなかったということを失念している。各個人の持っているオーディオシステムの音響特性は最初からばらばらである。また、映像の表示も色空間の同期など取るはずもないからばらばらである。つまり、最初から誰も同じものを見ていないし聞いていない。唯一、同じものを見る・聞く機会があるのは再現不能のライブだけである。
つまり、このアーティクルの結論部分はライブの重要性を訴えるのであれば有効に機能する。しかし、不可逆圧縮と結合した時点で羊頭狗肉とならざるを得ない。問題のドメインが最初から異なるものを安易に結合するのは、論理的思考が出来ていないためであろう。正直に言えば、文章・論理とも著しくクォリティが低いと考える。


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